あー、どうもみなさんこんばんちわっす。
今日もいつものごとくテキトーにTwitterをバーっとチェックしてたら、まさかのまさかのこんな衝撃的なツイートを目にしたんすよ。
ってのもこれ。
札幌出張来て、食事してたら、W杯帰りのジャンプ葛西選手に遭遇‼️パチリ????
似てますか❓ pic.twitter.com/ItkuoUj7if— 加藤鷹【公式】 (@katohtakashoten) 2018年3月27日
ソックリすぎる…汗
ってか、正直個人的に前から似てんなーとは思ってましたけど、まさかこの2人のツーショットが見れるなんて。笑
スゲーな、マジ双子かってくらい似てるもんな。笑
変な話、これお互いが入れ替わっても全然バレなそう。
ってことはもしそうなったら、レジェンド加藤鷹がスキージャンプ飛ぶのか。笑
おたまじゃくしだけでなくスキーまで飛ばすとは。
あ、すいません完全に下ネタでした。
反省してまーす
だかひーです、ちーっす。
ま、それはいいとして。
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ときた洸一大先生がいなかったら、たぶんここまでガンダム好きになってない。
で、これまた全く話は変わるんすけど、もう何回も腐るほどここで書いてきてるんでアレなんすけど、僕小学生の頃からガンダムがめちゃめちゃ好きなんすよ。
ま、それは今も全然変わってないんすけど。笑
ちなみに、そもそもガンダムってモノにハマるキッカケってのも、小学生のときにたまたまいつも通ってたレンタルビデオ屋で「機動戦士Vガンダム」の最終回が入ってるビデオ借りたんすよ。(もちろん当時はゴリゴリのVHS)
(なぜいきなり最終巻を借りたのかは自分でも謎。苦笑)
まぁ初めてガンダムってモノを観た感想としては「やたら人が死ぬアニメだな」でした。苦笑
(主要キャラ的なやつもポンポン死んでいったから。苦笑)
※今見てもビックリするくらいの残酷なシーン。汗(詳しくはググってくださいな)
で、何故かガンダムファンにはやたらディスられるけど、その後始まった「機動武闘伝Gガンダム」を観て完全にガンダムってモノにどハマりするんすけど。笑
で、もっと掘り返すとそもそもガンダムってモノに興味を持ったのは、これも今無くなった(らしい)けど、当時「コミックボンボン」って子供向けのマンガ雑誌?があって。
当時小学生の中では「コロコロコミック」と「コミックボンボン」が二大巨頭的な存在だったんすけど、コロコロはミニ四駆とかがよく載ってて、ボンボンはガンダムとかそういう系がよく載ってたんすよね。
だから、僕はボンボン派だったんすけど。
偉大なるときた大先生
で、その当時ボンボンでよくガンダムのマンガ描いてた「ときた洸一」大先生って人がいて。
漫画家として活動する前は、ガンプラをはじめとしたバンダイのプラモデルのパッケージのレイアウトや、ナムコのファミコンソフトなどのパッケージイラストを手がけていた。また、安井尚志の下で、安井がクラフト団名義で原作を担当していたやまと虹一の漫画『プラモ狂四郎』、『超戦士ガンダム野郎』、『SD武者ガンダム風雲録』などの登場メカのデザインも行っていた。
漫画家としては2002年頃まで『コミックボンボン』など講談社の雑誌を中心に活動していたが、近年では角川書店の『ガンダムエース』にて執筆活動を行っている。
一部のファンからはオーディオマニアとしても知られており、自身のブログ「ときた洸一のムダ話blog」で時々オーディオ関係にまつわるネタが取り上げられることがある。
当時ネットとかも全然普及してないし、いかんせん宮崎の田舎なんでリアルタイムでガンダムも放送してなかったので、唯一のガンダムってモノに触れられるのが、ときた大先生のマンガだけだったんすよね。
もう当時は単行本が出るたび出るたびに買ってたもんなー。笑
俺の記憶が正しければ、「Gガンダム」から「ガンダムX」くらいまでは死ぬほど読んでた気もする。
だもんで、僕はときた大先生がいなかったら、おそらくここまでガンダムにはハマっていなかったであろうと言っても過言ではないのです。たぶん。笑
あとがき
ありがとうございます、ときた大先生。
さらば。
今日の1曲
OVER ARM THROW/All right all wrong
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